広がる経済格差を論じる報道で、「富裕層」という言葉をよく目にします。平たく言えば「お金持ち」ですが、税金を徴収する立場の国税庁は、専門のチームも設けて、その納税に目を光らせています。財産や所得が大きい=納税額が高額になるために、「申告漏れ」も多くなる傾向にあるからにほかなりません。ところで、当局が対象にする「富裕」とは、具体的にはどういうレベルを指すのでしょうか? もしかして、あなたもターゲット? 実は国税庁は、その明確な定義を示してはいないのですが……。
「富裕層プロジェクトチーム」を設置
国税庁の公表資料(「令和2年度『税を考える週間』講演会・説明会資料」)には、「富裕層に対する適正課税の取組」として、次のような説明があります。
国税庁では富裕層に対する適正課税の確保が重要との観点から、有価証券や不動産を多数所有している個人や経常的な所得が特に高額な個人などをいわゆる富裕層として管理しています。
このような富裕層については、国外財産調書や財産債務調書などの法定調書、外国税務当局との情報交換ネットワークを活用し、積極的に情報を収集し、課税上の問題が認められる場合には調査を実施しています。
その結果、所得税の調査全体に占める富裕層に対する調査件数・追徴税額は、いずれも一定の割合を占めています。
また、富裕層に関する情報収集・分析を更に強化する観点から、全国の国税局に重点管理富裕層プロジェクトチームを設置し、富裕層の中でも特に多額の資産を保有していると認められる納税者について、その関係する個人や法人を含めて一体的に管理し、情報の収集・分析に取り組んでいます。
文中にある「国外財産調書」は、外国に5,000万円を超える資産を持っている個人に、毎年その状況について申告するよう提出が義務づけられているものです。また、「財産債務調書」は、個人の財産・債務の明細を記載したもので、所得が2,000万円を超え、かつ3億円以上の保有財産または1億円以上の有価証券を有する人に提出が義務づけられています。
「重点管理富裕層プロジェクトチーム」は、2014年に東京、大阪、名古屋の3局の国税局でスタートしましたが、現在では全国の国税局などに設置され、メンバーも数百名規模に拡充されていると言われます。「富裕層のうち、特に多額の資産を有していると認められる者」とあるように、ターゲットは「超富裕層」。「関係個人・法人と一体的に管理」とされていますから、一般に行われる「法人をつくって節税する」という方法も、「不正」が行われていないか徹底的にマークされることになります。
申告漏れ金額、追徴税額は過去最高に
こうした取り組みの「成果」は、確かに上がっているようです。国税庁の発表によれば、2019事務年度(2019年7月~20年6月)の富裕層に対する所得税の税務調査(※)では、1件当たりにすると1,767万円(前事務年度1,436万円)の申告漏れが見つかり、調査全体の1,190万円(同1,045万円)に比べて1.5倍の水準でした。申告漏れ所得金額の総額は789億円(同763億円)となり、過去最高に。
また、1件当たりの追徴税額は581万円(同383億円)で、所得税の調査全体の222万円(同180万円)の2.6倍となっています。追徴税額の総額259億円(203億円)というのも、過去最高額でした。
中でも、海外投資などを行っている富裕層については、1件当たりの追徴税額が1,571万円(同914万円)となり、調査全体に比べ7.1倍の高額に上っています。富裕層の海外投資が急に膨らんだというのは、不自然です。さきほどのプロジェクトチームも含めて、「富裕層の海外資産」に、特に厳しい監視の目が向けられた結果とみるべきでしょう。
国税局や税務署が、納税者の税務申告が正しいかどうかをチェックするために行う調査。任意調査と、国税局査察部が行う強制調査がある。
基準はどこにも示されていない
ただし、今紹介した国税庁の公開情報には、厳密に言えば、明らかな「不備」があります。「富裕層の申告漏れ」といっても、その「富裕層」がどういう人たちなのか、まったく示されていないのです。国税庁の他の発表資料や、ホームページのどこを探しても、定義は見当たりません。当然、プロジェクトチームが対象にする超富裕層が誰なのかもわかりません。
富裕層の定義については、例えば野村総合研究所が2018年暮れに発表した、17年の純金融資産保有額別の世帯数・資産規模に関するリリースで明示された数字があります。そこでは、富裕層を「金融資産1億円以上5億円未満」、超富裕層を「同5億円以上」としたうえで、前者が118.3万世帯(保有資産215兆円)、後者は8.4万世帯(同84兆円)存在する、と推計されました。しかし、「税金を取る」という視点から考える国税当局が、こうした一般的な基準に従って「線引き」を行っていることは、考えにくいでしょう。
一方、さきほど触れたように、国税庁は、所得が2,000万円を超え、かつ3億円以上の保有財産または1億円以上の有価証券を有する人に「財産債務調書」の提出を義務づけていますから、この調書の対象になるのが富裕層ではないか、という見方をする専門家もいます。しかし、それも、あくまで推測の域を出ないものです。
かつて、メディアから情報公開請求された国税庁は、そうした基準については非開示としました。あえて開示しない理由は、「正確な事実の把握を困難にする恐れがある」というもの。納税者として、適切な徴税を望むのは当然ですが、釈然としないものが残ったのも事実です。
国税庁の基準を報じた「日経」のスクープ
しかし、一度だけ、開示された国税庁の文書にある「大口資産家」の選定基準が、新聞にすっぱ抜かれたことがあります。少し前なのですが、2015年9月3日付の「日本経済新聞」が、次のように報じたのです。
- ①有価証券の年間配当4,000万円以上
- ②所有株式800万株(口)以上
- ③貸金の貸付元本1億円以上
- ④貸家などの不動産所得1億円以上
- ⑤所得合計額が1億円以上
- ⑥譲渡所得及び山林所得の収入金額10億円以上
- ⑦取得資産4億円以上
- ⑧相続などの取得財産5億円以上
- ⑨非上場株式の譲渡収入10億円以上、または上場株式の譲渡所得1億円以上かつ45歳以上の者
- ⑩継続的または大口の海外取引がある者、または①~⑨の該当者で海外取引がある者
この報道について、国税庁は「ノーコメント」でした。つまり、否定はしなかったということです。「どういう場合に対象になるのか」という当局の視点を確認する意味でも、興味深い「資料」だと言えるでしょう。
とはいえ、「大口資産家」が国税庁の公表資料にある富裕層とリンクしているのかどうかなど、依然として「わからない」ことは残ります。報道のあった5年前から、世界的な株高がさらに進行するなど、取り巻く経済環境も変わりました。富裕層の基準も、そうしたものに合わせて見直しが行われている可能性はあるでしょう。
まとめ
全国の国税局に専門のプロジェクトチームを設置するなど、富裕層に対する「適正課税」の取り組みを強化している国税庁ですが、その富裕層の定義は明らかにしていません。ただ、増加傾向にある海外資産などを中心に、監視の目がさらに強化されていくことだけは確かだと思われます。