一般的に、戦争は多くのお金を必要とします。そのため、それをカバーするために戦時中や戦後には税金が課されるケースが多くあります。今回は戦争と税金の関係について詳しく解説します。しっかりと理解しておきましょう。
現代の税制は明治時代に始まった
税制は地租改正から始まる
現在、日本で普及している税金の考え方は、戦争より前の1873年におこなわれた「地租改正」に由来します。明治政府が財政基盤を確立するために実施した政策です。
「地租」とは土地の収益に対して課される税金で、土地の面積や地価、作物を栽培している場合は収穫高に応じて計算されます。明治政府は江戸幕府と異なり、江戸時代に年貢を免除されていた場所を含めすべてを課税対象としています。全国を一律に課税することで、安定した税金を得ようと考えたためです。基本的に特別な階級などは認められなくなり、土地の所有が認められている以上は税金を納める仕組みとなりました。
現金で安定して集める税金へ
地租改正による大きな変化は、税金を原則として金で納めるようになったことです。江戸時代までは金以外に農作物でも納められていましたが、明治政府はこれを認めませんでした。このような徴収方法となった理由は、政府が安定して想定どおりの収入を得たかったためだと考えられます。
現在もこの流れは続き、税金は物ではなく現金で納めなければなりません。クレジットカードや電子マネーでも納税はできますが、実質的に現金で納めているのと同じです。政府が安定してお金を集められるように、現金以外での納税はできなくなっています。
戦争中と日本の税金
戦費を捻出するための増税
一般的に戦争では非常に多くのお金がかかります。現代では戦争に億円や兆円単位でのお金がかかると言われていますが、昔もこれに匹敵するようなお金が必要となりました。
このようなお金を確保するために、日本では税金の新設や変更が繰り返されました。つまり、戦争と税金は非常に密接な関係にあり、互いに大きな影響を及ぼし合います。戦争が起これば税金が増え、税収が増えれば戦争で有利になるわけです。
例えば、日本がロシアに宣戦布告した日露戦争では、非常に多くのお金(一説によると、現在の貨幣価値で2兆6,000億円)がかかりました。日清戦争とは比較にならないほどの戦費となり、国を挙げた資金調達が求められました。そのため、1904年と1905年に非常特別税による増税がおこなわれています。税制において、戦争によって税金が新設されたり変更された事例のひとつです。
ただ、ここで定められた非常特別税は、地租・営業税・所得税・酒税などに限られ、それぞれについて一時的な増税となりました。終戦後には非常特別税は廃止され、戦費を集めるためだけに設定された税金となっています。
税金を確実に徴収するための仕組み作り
税金を確実に徴収するために、戦争が起きたタイミングで法律が改正されました。例えば、酒税を確実に徴収するために、「酒の密造を禁止する法律」や「塩の販売を専売制とする法律」が成立しています。これらの法律があることで、人々は指定されたお店から購入することとなり、結果として必ず税金を支払う状況が生み出されました。
どのような時代においても、税金を支払わないための悪知恵が働く人は多いと考えられます。国としてこのような状況を打破するために、税金の変更と納税させる仕組みづくりがおこなわれました。そして、これらの戦争にあたって考えられた税金の仕組みが、今でも税制として受け継がれています。
戦争により新設される税金もあり
非常特別税と同時に1904年には石油と織物に消費税が課されるようになり、1905年には「相続税」が新設されました。戦争で多くのお金を利用したため、それらを取り戻すべく新しい税金の体制が生み出されています。
ただ、新設される税金は臨時のものが多く、現代まで恒久的に適用されているものは限られています。例えば相続税は今でも適用されますが、特別税などは期間限定で廃止されました。
戦後の日本と税金による時代の変化
税金で支払えない戦費
大東亜戦争でも多くの戦費が必要となりましたが、日本はこれを税金だけで賄えませんでした。そこで、費用を調達するために大量の「国債」を発行しています。現在でも国債の発行はありますが、大東亜戦争では膨大な額の国債が発行されています。
ただ、大東亜戦争は終わり、政府は旧軍人などへの支払いに追われ、臨時軍事費の支出が急激に高まりました。結果、物資の生産などにお金が充てられず品薄となり、急激なインフレーションが起こっています。戦争が終わったあとの税制ではこの状態を解決できず、政府は1946年2月に新円切替を実施し、現金を金融機関に集めた状態で口座を凍結しました。
100%の課税による戦時補償の無効化
1946年2月の段階では、個人財産増加税と法人戦時利得税を課すことで税金を集め、戦時補償がおこなわれる方針でした。しかし、GHQの意向を踏まえ戦時補償特別措置法が成立したことで、「戦時補償特別税」と「財産税」が新設されています。財産税は累進課税で最大9割も課税されるもので、個人に税金が重くのしかかりました。
また戦時補償特別税は、戦時補償を実質的には無効化した税金です。戦時補償について100%の税率で課税することで、実質的には戦時補償を支払わなくてよくする仕組みです。形式上は戦時補償の支払いがありましたが、全額を税金として徴収されてしまうため、この法律が施行された段階で戦時補償は打ち切られてしまいました。
税金を投入しても一時しのぎ
上記のように「100%の課税」など現在では考えられない税金が導入されましたが、それでも一時しのぎに過ぎませんでした。戦費として多くのお金を利用してしまったため、国内の再建には時間を要し、インフレも長く続いてしまいました。税金による解決を目指したものの、効果は限定的だったといわざるを得ません。
ただ、長い歳月をかけて問題は解消し、税金を徴収するための仕組みは少しずつ姿を消しています。財産税法や戦時補償特別措置法は存在していますが、現在は効力を発揮していません。戦争の傷は税金だけで癒せるものではなく、時間をかけて癒やされていきました。
まとめ
戦争が起きると多くのお金が必要となるため、お金を集めるために税金が変更されたり新設されたりする傾向にあります。実際、日本でも日露戦争や大東亜戦争において、税金が新設されるなどして徴収されました。
ただ、戦費はあまりにも高額であり、税金だけでは賄えなかったことが分かっています。今後、日本が戦争に巻き込まれると、昔のように限界まで税率が高まり徴収されてしまうかもしれません。