マネジャーではなくリーダーを育てるのが、ハーバード 経営者の子弟には「日本の価値観を身に着けてほしい」
世界最高峰の経営大学院、ハーバード・ビジネス・スクール教授を長年務める竹内弘高氏。卒業生の7割は、大企業ではなく、中小企業、スタートアップを選び、社会起業家になる。企業の秩序を保つマネジャーではなく、「変化と方向性」をつくるリーダーになることに醍醐味を感じるからだ。竹内教授は、経営者の子息教育について「日本で育て日本の価値観を身に着けてほしい」と強調した。
八木美代子(以下、八木) ビスカスは中小企業の支援をしている会社です。その中で、ナレッジシェアと言いますか、中小企業、個人事業主の皆さんの経営に必須な情報、節税を含めた税金、相続、資産運用などの最新情報を共有させてもらっています。
そして、経営者教育にも力を入れています。後継者の育成も大事なテーマですし、現役の経営者ご自身が学んでおいたほうがいい最新トピックについて動画などでも情報提供も行っています。
竹内弘高先生が長年教えておられるハーバード大学ビジネス・スクール(以下、HBS)では、世界各地から集まった経営者たちが世界最高レベルの先生に学んでいると思います。
まず最初に、HBSでは何を教え、経営者の質を高めておられるのか、お話を伺いたいのです。
ハーバードのパーパスは、「違いを生むリーダーを教育する」
竹内弘高(以下、竹内) HBSのパーパス(目的、存在意義)は何かと言えば、「私たちは違いを生むリーダーを教育します」ということです。「マネジャー」を育成しているのではなくて、「リーダー」を育成しています。
HBSで3大テノール(名物教授の意味)と言われているのが、マイケル・ポーター先生、故クレイトン・クリステンセン先生、ジョン・コッター先生です。ポーターさんは、競争戦略の研究の第一人者です。
2年前に亡くなられたクリステンセンさんは、『イノベーションのジレンマ』によって破壊的イノベーションの理論を確立させた人です。
コッターさんは、リーダーシップ論の第一人者です。そのコッターさんは、「変化と方向性」をつくるのがリーダーで、マネジャーは「秩序と一貫性」をつくると言っています。
企業幹部が考える変革のリーダー、一番は富士フイルムの古森元社長
八木 マネジャーは組織を効率的に維持して発展させなければなりませんから「秩序と一貫性」なのでしょうね。しかし、船(会社)が進んでいる先に展望がないのなら変化して方向性を変えなければならない。今の時代は、リーダーが必要ですね。「変化と方向性」を決めるのがリーダー、そのロールモデルとして竹内先生が太鼓判を押すとしたら、どなたになりますか。
竹内 あとでお話に出てくるファーストリテイリングの柳井正会長兼社長もそうですね。
最近の授業で各国から参加している企業幹部30人に「中興の祖は誰か」という話をしたのです。その時に、挙がった経営者がリーダーの見本ですね。
ビル・ゲイツ氏が創業したマイクロソフトで3代目のCEO(最高経営責任者)を務めるサティア・ナデラさんがそうです。インド出身のナデラさんは「モバイルファースト、クラウドファースト」を目標に掲げてマイクロソフトの企業文化をまるっきり変えてしまった人物です。
コカ・コーラはHBSのケーススタディでも取り上げている会社ですが、第二次大戦中を含めて40年以上経営トップの座にあったロバート・ウッドラフさんは、コカ・コーラをインターナショナルな企業に変身させた立役者です。
八木 中興の祖と呼ぶのにふさわしい日本人経営者はどなたですか。
竹内 さきほどの幹部たちに尋ねてみました。一番は富士フイルムで社長、会長を務めた古森重隆さんでしたね。ライバルだった米イーストマン・コダックが破綻したのとは対照的に、医薬品や化粧品、バイオなどのまったく新しい会社に生まれ変わらせた変革者です。
幹部の皆さんが特に評価したのは、富士フイルムが利益は小さくなっても写真フィルム事業を残していることです。2011年3月11日の東日本大震災の際に泥まみれになった地元の方々の写真を綺麗にしてお戻しする「写真救済プロジェクト」を展開し、たくさんの写真を救ったのは、皆さんの印象に残っていることです。
2番目に評価が高かったのは、ソニーの社長、会長を務めた平井一夫さんでした。彼は私が理事長をしている国際基督教大学(ICU)の出身です。平井さんは、調布市にあるアメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)の出身でもあり、ICU用語でいう「変ジャパ」(変な日本人の意味)なんです。
その平井さんは、ソニーのパーパス(目的、存在意義)を「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」と定めた。そして、60数か国でファイヤーサイド・チャット(炉辺談話)をやって、もう一度、感動を売る会社に生まれ変わらせた。
八木 ビジョンやミッションも大事ですが、その会社の存在意義を従業員や社会に示すパーパスも大事ですね。私たちビスカスのパーパスは「すべての経営者が金融ナレッジをシェアして成功する社会を創りたい。」です。
次はHBSの教えている内容のことをお伺いします。ケースメソッドを徹底して学ぶ経営大学院だとお聞きしています。
ハーバードはケーススタディを徹底、徹底討議で高度な解を出す
竹内 2年間で1000のケースを学びます。1日に3つのケースを学びます。私たち教える側は、ジグソーパズルの1000のピースを与えるから、学生は自分で問題解決を見つけ、自分が次にやりたい仕事で必要な要素を集めたり、とにかく自分で考え整理するわけです。教える側は一切、「これが答えです」なんて言いません。
1000のケースについては、学ぶのではなくて、ディスカッション、討議をするわけです。ある学生があるテーゼ(命題)を主張すると、次に発言する学生は逆のこと、アンチテーゼを言う。相手をボコボコにやっつけるために言い合うわけです。
そうやって、プロレスのように取っ組み合い、徹底的に議論していくと、「正反合」という高度な解が導き出されるわけです。
日本のどこの大学とは言いませんが、大学生の先生が使い古して黄色くなったテキストを使って、一方的にしゃべるのとは大違いです。
八木 マネジメントのノウハウについて学びたい人はどうすればいいのですか。
竹内 経営学修士の学位を取得したい方なら、マネジメントを学べる大学院がいろいろあります。クレアモント大学院の「ピーター・F・ドラッカー伊藤雅俊経営大学院」はお勧めのひとつです。故ドラッカーさんはご存じの通り経営学を体系化した方です。伊藤さんは小売業で世界第2位を誇るセブン&アイ・ホールディングスの創設者です。そのお二人の名前を関した経営大学院でカリフォルニア州にあります。
学位はとらないでいいという方でしたら、欧米の経営大学院にいろいろな経営幹部育成コースがあります。HBS でしたら、1週間、2週間単位など自分の都合に合わせて学べる短期コースが80近くありますし、20以上のオンラインコースが充実しています。
以前は7割が大企業に就職、今は7割が中小企業やスタートアップに
八木 HBSの卒業生はどんなところに進むのですか。
竹内 毎年、900人の学生が入ってきます。卒業するとき、70%が「ハーバードの卒業生を1人しか雇わない会社」に就職します。つまり、中小企業であり、スタートアップの会社です。スタートアップの会社というのは、自分で起業するか、4,5人の創業メンバーがいる会社に入ります。
私がHBSに来た1976年、70%の卒業生は、アメリカン・エキスプレスやゼネラル・エレクトリック(GE)などの大企業に就職していました。30%が、中小企業、スタートアップに行ったり、社会起業家になっていたけど、今はまったく逆になったのです。
八木 どうして大企業志向から小企業志向に変わったのですか。
竹内 HBSには、リーマンショックといった金融危機を引き起こしたのは、ウォール街に就職した自分たちの学校の卒業生ではないかのかという反省があるのです。ケースディスカッションが授業の中心であることに変わりはありませんが、体験型プログラムなど新しいカリキュラムを加えました。
世の中の価値観が変わってきている面もありますが、2年間、毎日、プロレスのようなディベートをやり続けると、入学したときとは違って、価値観がまるっきり変わります。HBSを卒業するころになると、入学前にいた大企業に戻るのかという疑問が沸いてくるわけです。
2年間、リーダーになる教育を受けてきたのに、再び大会社の中間管理職として戻ることを「よし」としないのです。
八木 スタートアップの成功の率は日米で差がありますよね。
竹内 大企業に戻って、ゆくゆくは経営トップになれば大金が手元に転がり込むわけですよね。スタートアップだと、10人のうち7人ぐらいは失敗します。
そういうリスクを取ってでも、何か世の中のため、人のために貢献したほうが、一度の人生を大切にすることだと考えるようになったのです。米国の場合、支援してくれるベンチャーキャピタルがたくさんいますから、自分の夢や構想を実現したくなるものです。
日本の価値観を身に着け、世界に飛び出してほしい
八木 中小企業の経営者の方々は、自分のお子さんの教育については悩んでおられます。将来、会社を継がせるためには、いったい、どんな教育を受けさせるべきかと。
日本の学校に行かせるべきか、インターナショナルスクールなのか、海外に留学させるべきなのか、と悩まれる話も聞きます。竹内先生のご家庭はどんなコースを歩まれたのですか。
竹内 私は横浜市にあった「セント・ジョセフ・インターナショナル・スクール」に通っていました。いまはなくなった学校です。そこへ通うのに、片道1時間半かかりました。親はグローバルマインドを持っていなければダメだという考えで、そこに通わされた。
私が子弟教育で大事だと思うのは、日本で育てるということです。日本で日本人としての価値観を身につけてほしいということです。
日本にはおじいちゃん、おばあちゃんがいて、いとこがいる。おばあちゃんの知恵袋じゃないけど日本の価値観を身に着けたうえで世界に飛び出してほしい。
娘はアメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)に行き、息子は12年間、世田谷区にある「セント・メリーズ・インターナショナル・スクール」に行きました。英語で学ぶ学校に行くにしても、日本の中で育て、日本の価値観を身に着けさせたいと願いました。
「真善美」のリベラル・アーツが、リーダーになるための素養
八木 竹内先生ご自身は、なぜインターナショナルスクールからICUに進まれたのですか。
竹内 高校3年生のときに、1964年の東京オリンピックのボランティアをしました。その時、泊まり込みで一緒にボランティアをしたのが、ICUの学生さんたちでした。
軽井沢にある万平ホテルに宿泊させてもらったのですが、彼らが哲学者のニーチェやハイデッカーがどうのこうのとか難しい議論をしているわけです。
全部で6週間学校を休んでICUの学生さんたちと寝食を共にする中で、こういう学生さんたちの談論風発の様子にすっかり虜になりましてね。「自分もこんなお兄さん、お姉さんたちと同じようになりたい」と決めて、ICUしか受験しなかった。
父親は怒りましたね。12年間、高い学費払ってインターナショナルスクールに行かせたのは、そのあと、米国の大学に進学させるためだったのに、なぜ日本の大学に行くのだとね。
ICUは教養学部しかありませんが、そこで何を教えているかと言うと、リベラル・アーツです。リベラル・アーツを「教養」と訳したらちょっと違います。知り合いの人が上手に言っていましたが、リベラル・アーツは「真善美」だと。
八木 認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値を追い求めることですね。
竹内 そうですね。そこで私がお勧めする大事なポイントの2つ目は、リベラル・アーツが学べる大学にお行きなさいということです。日本は大学に入るときから文系とか理系とかに分けますよね。しかし、HBSの授業でディベートをしながら、高い地点の解を得るような人物、つまりリーダーになるなら、その要件は、芸術もわかるデザインもわかる、コンピューターサイエンスも数学もわかる、そんな素養があることが大事です。
柳井正財団の奨学金制度も、リベラル・アーツの大学重視
八木 リベラル・アーツと言われてもピンと来ない方にもう少し説明してくださいますか。
竹内 戦前の旧帝国大学には、自由な寺子屋のようなコンセプトがあった。青臭い議論が活発に行われた。それもリベラル・アーツです。
戦後になって、大量生産の時代に入って、それに合う人間をつくるために、文系、理系と分ける教育になってテクノクラートを育てることに重点が置かれましたよね。でも、人間は、総合知の中で判断していく動物です。
リベラル・アーツは大きな流れになっています。それを物語る奨学金制度があります。ファーストリテイリングの柳井さんが作った「柳井正財団」というのがあります。
この財団は、海外に4年間留学できる奨学金を提供しています。毎年、40人が米国と英国の大学に進学できる。年間9万5000ドル、4年間で38万ドルを出してくれる。私は5年前からこの奨学金制度の選考委員をしています。
柳井正財団が指定している大学は、米国の場合、ハーバード大学などの総合大学もあるけれど、19のリベラル・アーツ・カレッジに行くことができます。
八木 柳井正財団のサイトを拝見すると、柳井さんが理事長として次のように言っている。
「(多くの課題を)解決するアプローチは、ひとつではありません。世界をどこから、どのように見て、考えるか。考え方、視点の数だけ、解決の道はあるはずです」と。竹内先生が大事だというリベラル・アーツを身に着ければ、なお強みになりそうです。
竹内 実は「笹川平和財団」も柳井正財団に学んで、「笹川平和財団スカラシップ」を始めています。指定される大学の中には、リベラル・アーツ・カレッジが15校含まれています。募集する学生数は当面は最大50名ですが、将来は100名を募集するそうです。
何がすごいって、日本の優秀な学生が米国や英国のリベラル・アーツの大学を目指す時代になったということです。
八木 竹内先生は中小企業をどう位置づけていますか。
竹内 企業数で見たら企業の99%が中小企業でしょ。従業員数で見ても7割が中小企業で働いている。しかも、大企業を支えているのは中小企業。サプライチェーンのキーになっている。
さきほどお話したファーストリテーリングの柳井さんは中小企業のロールモデルですよね。
柳井さんは、親父さんが経営していた小さな紳士服の洋品店を引き継いだわけですよね。1984年に広島市にユニクロ1号店を開業。でも、関東に進出したのは、1994年の千葉市の店が最初。柳井さんが親父さんの洋品店で働き始めてから30年かかっているわけです。
それが今では、ご存じの通り、世界各地に出店し、世界ブランドに成長しました。柳井正財団などいくつかの財団を持って、世の中に貢献している。中小企業が目指すべき見本だと思いますね。
1969年国際基督教大学(ICU)卒業後、カリフォルニア大学バークレー校で経営学修士(MBA)、Ph.Dを取得。一橋大学大学院国際企業戦略研究科長などを経て、ハーバード大学ビジネス・スクール教授。2019年からICU理事長も務める。野中郁次郎一橋大学名誉教授との共著『ワイズカンパニー』(東洋経済新報社)ほか、著書多数。
各業界トップとの対談を通して“企業経営を強くし、時代を勝ち抜くヒント”をお伝えする新連載「ビジネスリーダーに会いに行く!」。第2回はハーバード大学ビジネス・スクール教授で、国際基督教大学理事長の竹内弘高先生にお話を伺いました。ハーバード・ビジネス・スクールの卒業生の7割が、中小企業やスタートアップに就職し、世の中を良くしたいと社会起業家になる方もいると聞いて驚きでした。経営者の中にはご子息やお孫さんの教育、進路で悩まれているかと思います。そこもズバリと質問させていただき、竹内先生はご自分のお子様のお話も交えてお話いただきました。必読です!