すかいらーくやジョナサンを立ち上げた名物経営者
75歳でパンケーキを売りにする高倉町珈琲を創業
87歳の今、「見えない価値」で上場を目指す


[取材/文責]酒井綱一郎[撮影]谷口岳史

日本一の外食チェーン店「すかいらーく」を4兄弟で築き上げた名物経営者。すかいらーくの成長をリードしただけではなく、カフェレストランの「ジョナサン」など次から次へと新たな外食企業を育てた。晩年、すかいらーくの立て直しに入るが、株主と経営方針で対立し、同社を去った。しかし、そこでは終わらなかった。75歳でふわふわパンケーキを主力商品にする高倉町珈琲を創業。87歳の今、「見える価値」と「見えない価値」のバランスがとれた理想的な外食企業の実現を目指す。

八木美代子(以下、八木) 今回、インタビューさせてもらう前に、「高倉町珈琲」の大井町店に行きました。名物のリコッタパンケーキは、ふわふわしていて美味しかった。評判通りだなと思いました。

パンケーキのおいしさと同じくらい感動したのが、あんなにたくさんのお客さんが入っているのに、とてもゆったりとした雰囲気で過ごせたことです。

 

見える価値しか売らない外食は成長しない、見えない価値こそ大事

横川竟(以下、横川) 10年前、ゆったりと過ごせるカフェを売りにして高倉町珈琲をオープンしたとき、「あれだけの店舗投資をしているのに、そんな安い価格で成り立つのか」と同業者は否定的でした。それが今では、いろいろな企業がゆったりとしたカフェ、食事のできるカフェを次々と開いています。

八木 75歳で高倉町珈琲を創業し(会社を作ったのは76歳)、現在は87歳。10年間で40店舗まで増やしています。パンケーキの店を作ろうとしたのは、なぜですか。

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見えない価値を
大事にする店を
作ってみたいと
高倉町珈琲を創業

横川 高倉町珈琲を作ったとき、兄弟たちからは「老後の生活は困らないのに、なんでまた仕事をするんだ」と言われました。僕は生活のために仕事をしていない。仕事は楽しいし、世のためになるから仕事をしています。

10年ぐらい前、ふわっとしたパンケーキはあまりなかった。東京のお台場に一軒だけあったので、食べに行った。その時、長年培ったローコストオペレーションのノウハウを導入すれば、おいしいパンケーキを安く提供できると考えました。

八木 自分たちで創業し、大きくした「すかいらーく」の調子が悪くなり、外に出ていた横川会長が立て直しに入った。だけど、解任されて、むしゃくしゃしていたので、パンケーキを食べに行って、ひらめいて開業したと解説する記事もありましたが。

横川 解任されたというのは違うね。すかいらーくが調子が悪くなって、何度か立て直しに入りましたが、最後は株主と意見が合わず、私のほうから辞めた。株主の意向に従わなかったから、表向きは解任の形をとっただけです。

むしゃくしゃしていたわけでもない。失敗を引きずるのは性に合わない。次は何ができるだろうかと考えていたときに、パンケーキに出会った。生意気な言い方をさせてもらうと、見える価値しか提供できなくなっていたレストランチェーン業界の中にあって、見えない価値を大事にする店を作ってみたいと考えていた時期でした。

八木 見えない価値とは何ですか。

横川 例えば、高倉町珈琲のトイレは、立派な鏡をつけるなどホテルのトイレに負けない。男の客より女性の客が多いので、女性用トイレは2つ設置しました。

天井を高くして、満席になってもお客さんの声が響かないようにした。壁紙も、音を吸収する壁紙にした。

BGMにビートルズの音楽を流していますが、いい音かどうかは、スピーカーだけでは決まらない。壁や天井の具合によって音の質は変わるから、その辺も手間をかけた。

壁、天井、椅子と見えない価値を実現した高倉町珈琲の店舗(提供:高倉町珈琲)

八木 私がお邪魔したときも、たくさんの人がいましたが、人の多さを感じさせませんでした。

横川 満員になると100人になります。100人の人が息をすると、酸素が減って息苦しくなる。そこで、1時間に6回も空気を入れ替えています。

八木 席もゆったりしていました。

横川 3時間座っても疲れない椅子にしています。通常、長い人で2時間ぐらい店に滞在していますが、それでも「3時間座っても疲れない椅子にしろ」と建築担当に指示しました。

消費者の手が届く1000円の価値がわからない経営者はレストランをやるな

八木 まさに見えないところにお金をかけていますね。

横川 店舗投資が高いから、なかなか儲からない。お台場で食べたパンケーキは1800円から2500円で売っていました。そんな高い値段だと気軽に食べてもらえない。そこで創業当初は、企業努力をしてなんとか1000円台で売っていました。

今は、「イチゴのリコッタパンケーキ」などフルーツなんかをのせて1500円、1600円とか高めの価格のパンケーキがありますが、基本的には10年前から2割しか上げていないんです。

僕は「1000円の価値がわからない経営者はレストランはやるな」と言っています。1000円が外食産業の基準です。1000円以内だったら何をやっても売れます。1000円を超えると、よほど価値をつけないと売れない。

会社が儲かってくると、1000円の大切さを忘れて、1万円でも「いいよ、いいよ」になってしまう。そんな人は商売はできません。

 

横川会長が渾身を込めて開発したふわふわのリコッタパンケーキ(提供:高倉町珈琲)

八木 75歳で再び起業したのはなぜですか。

横川 レストランチェーン業界はろくなことをやっていないから、自分が良いサンプルを作ってやろうじゃないかという意気込みでした。

見える価値と見えない価値をうまく組み合わせて新しい時代のファミレスを作って見せる。そんな気持ちでした。高倉町珈琲のことを「カフェ」と呼んだのは、ファミレスが時代の要請に応えていない代名詞になっていたので、ファミレスと言いたくなかっただけです。

ライバルが次々と同じコンセプトの店を出してきて、競争が激しくなって、あまり儲かりませんが、僕は自分の役割は果たせたと思っているんです。

八木 お話を聞いていると、私たちの事業でも同じだなと思いました。税理士を紹介することだけではなく、経営者の方の話をしっかり聞いて、その方が本当に困っていることは何かを探ることが大事なんですが、それは見えない価値ということになりますね。

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税理士を紹介するのが
仕事でも、
お客様の相談に乗ること、
それは見えない価値です

横川 家庭の食事にはできないことを外食は実現できるはずなんです。それは、楽しいとか、健康になるとか、見えない価値ですよ。

売れて喜ばれて儲かるのを「商売」、儲からないのは「趣味」

八木 高倉町珈琲を創業した時に思い描いていたことはどれぐらい実現していますか。

横川 80点ぐらいです。商売に100点はないので、80点でも悪くはない。これからも100点に向かって挑戦していきたい

100点取れないのは、ほかにも理由があります。売れて喜ばれて儲かるのを商売と言うんです。売れて喜ばれて儲からないのは趣味です。うちは趣味と商売の中間です。現場は値段を高くしたいと言ってきますが、僕が認めていません。

例えば無添加食材や有機野菜をどんどん採り入れたいのですが、値段が倍になってしまう。僕の商売は、誰もが食べられない高い価格の料理には価値がない、という判断をしています。

八木 見えない価値にこだわるのは、なぜですか。

横川 今の日本がもっと心豊かになるためには、外食が変わらなきゃいけない。食べたらもっと楽しくなるとか健康になるとか、何かプラスアルファがないと、外で食べる意味がない。そうした問いに外食業界は答えてこなかった。たくさん売るために安く売った。安く売るために材料を落としてきた。それでは、外食産業は成長しません。

八木 商売の基本は築地の問屋で学ばれたのですよね。

横川 10代のころ、築地の店で学んだことですが、商売の鉄則は、お客さんが喜ぶものを売ることです。商売ができてはじめて経営ができるのに、今の経営者は儲けがどうだ、業態開発がどうだと、経営が先に来てしまう、だから、うまく行かないのです。

会社作りは10年単位。最初の10年、次の10年と考えて事業拡大

八木 今後の出店目標はどれぐらいですか。

横川 計画でいうと商圏15万人で1店なんです。15万人に1店舗だとすると、全国に150店作れます。しかし、ライバルも出店している。だから、150の店を出すのはムリだ。それで、目標は100店にしようと思っています。そうはいっても、100店だってかなり真面目にやらないとできません。

高倉町珈琲の店舗数を増やすだけではありません。今考えてるのは、パンケーキの小型の専門店を東京都心に出していこうと思っています。半分はテイクアウトのお客さんで、残り半分は店の中で食べられるようします。ケーキ屋さんで同じような形態の店があるでしょ。その場で食べられるし、持って帰れる店です。

2025年中に1号店を出して実験をしなければなりません。うまくいきそうだったら、ショッピングセンターの中や駅ビル、商店街の空いているところに店を出したい。成り立てば、パンケーキ専門店を500店舗、1000店舗と出すことができます。

僕は、これを山の手線と言っています。安全と便利をベースにいろいろな価値を生み出してきたのが最初の10年でした。その山手線ができたら、そこから東海道線などほかの線を作っていく。ブランドを作ったら、そのブランドを冠した新業態を出していく。これが、これからの10年の取り組みで、その第一弾がパンケーキの専門店にしたいと思っているわけです。

さらに20年先はどうするか。僕は「メーカーになる」と言っているんです。高倉町珈琲のブランドなら安心と消費者が判断してくれれば、メーカーにもなれるし、工業化した農業だってできます。

高倉町珈琲のブランドなら、消毒回数が少ない野菜を売ってくれる、安心や安全のための品種改良した新しい野菜を生み出してくれる、という期待が消費者に生まれるぐらいになりたいのです。

会社づくりは10年単位です。最初の10年で何をやるか、さらに先の10年は何をやるか、そういう考えで事業を拡大しています。

八木 たくさんの会社を上場させていますね。

横川 4つの会社を上場させました。その中には、部下に経営させて上場した会社もあります。私自身が直接に上場させたのは、すかいーらーく、ジョナサンです。次は高倉町珈琲です。

八木 なぜ上場にこだわるのですか。

横川 僕は上場しない会社はやらないと言っています。今の資本主義社会では、上場しない限り、社員、従業員の資産作りができないからです。株主のことを考えているわけではなくて、社員のためです。社員だけではなく、パートさんも含めて350人ぐらいが高倉町珈琲の株を持っています。

ジョナサンの成功は、有機野菜とマネジメントチームに自由を与えたこと

八木 すかいらーくと言えば、横川会長を含めた4兄弟で経営したのが有名です。いつ頃からご一緒にやられているのですか。

横川 すかいらーくの前の「ことぶき食品」のときに、僕と弟の横川紀夫がやろうとしたら、茅野亮(故人)が加わって、最後に長男の横川端が一緒にやることになった。すかいらーくのときは、4兄弟で事業をスタートさせました。長男の端が人事、次男の茅野が財務、私が商品と営業、弟の紀夫が立地と開発です。業態開発も弟がやりました。

八木 すかいらーく、ジョナサン、高倉町珈琲の成長のアプローチは違ったのですか。

横川 一番成長したのは、すかいらーくです。強いライバルがいなかったから急拡大しました。自分たちでファミレス市場を開拓しましたしね。

ジョナサンは有機野菜です。ジョナサンは、日本のファミレスの30社目でした。激戦の中で打って出たのです。そしたら、1店舗あたりの平均集客力が日本一になりました。なぜ日本一になったかと言えば、有機野菜でメニューを作ったんです。

ジョナサンの成功を見て、ライバルも「有機、有機」と言って有機野菜を使った。ただし、1品しか有機野菜を使っていないのに、全部の料理に有機野菜を使っているようなイメージの宣伝をする。これではいかんということで、僕もメンバーになって議論が行われ、農林水産省が基準を作ったほどでした。

ジョナサンは伸びた理由がもう一つあります。マネジメントチームに対して、ルールは作るけれど、あとは好きなようにやれと自主性を重んじたことです。他がやらないようなことをやるから、クレームがいっぱい来ましたけど、素晴らしいというお褒めの言葉もたくさんいただきました。

八木 すかいらーくがうまくいかなくなった原因は何ですか。

横川 当時のすかいらーくの失敗は欲です。欲が出てくると商売は失敗するんです。欲が一番になってはいけません。商売は売れるものを作ることです。

八木 経営にとっては欲は大事だけど、欲に振り回されて、経営の目標を見失ってはいけませんね。

 

横川 具体的に言えば、1990年代、バブル経済が崩壊して、お客さんが低価格志向になり、低価格レストラン「ガスト」を作った。ガストの利益がすかいらーくより圧倒的に上に行ってしまった。儲かるので、5店に1店はガストにすることにした。

しかし、低価格レストランを作るのが僕らの目標ではなかったはずです。すかいらーくを作ったのは、楽しい店を作りたいという思いがあったからです。ジョナサンや中華の「バーミヤン」など新しい業態を開発する会社だったはずです。ガストが儲かるとなると、価値を創造するのではなくて、儲かればいい、という体質になってしまった。

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経営にとっては
欲は大事だけど、
欲に振り回されて、
経営の目標を
見失ってはいけませんね

八木 2006年、すかいらーくを、MBO(経営陣が参加する買収)しました。MBOによって上場を廃止したうえで、大改革をしましたよね。そのうえで、2014年に再上場しています。

横川 僕はすかいらーくに3回戻ってます。立て直すと、まただめになる。再建するのを繰り返して、MBOが3回目の再建の時です。

すかいらーくを再建するために、高倉町珈琲みたいな、ゆったりと過ごせる店をオープンさせました。ファミレスの「ロイヤルホスト」から来た人と一緒に1号店を開いた。しかし、株主から「余計な投資をするな」と言われて、株主と意見が合わなくて辞任を申し出た。

八木 高倉町珈琲を創業したときが75歳。通常なら引退している年齢ですよね。長い間経営をしていくのですから、将来に対する健康不安はなかったのですか。

横川 健康不安はまったくありません。ゴルフは今でも結構やりますしね。そもそも、人間は死ぬときは死ぬ、死ぬまでやるって決めただけです。今うちの連中には、「俺は明日死ぬかもしれないよ」「俺の言うことは遺言だと思って聞いてくれ」と言ってあります。

人間はどれだけ経験を積んだかが大事。経験の上に未来がある

八木 お話を聞いていると、人生の中身がいっぱい詰まっていますね。

横川 それはそうでしょ。僕は皆さんの倍は生きているんです。それだけではないですよ。おそらく皆さんの2倍は働いています。ということは、皆さんの4倍は経験していますから、皆さんの100年以上の経験をしているんですよ。

人間はどれだけ経験を積んだかが大事です。経験の上に未来がある。過去があって未来が予測できる。僕の強みが何かと言えば、経験をいっぱいしていることです。

失敗例から学んでるので、これは成功するだろうな、失敗するだろうな、ということが見える。他社がやっていることでも、「この店はつぶれるから、ライバルとしてマークする必要はない」と部下に断言したりします。案の定、つぶれましたね。

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人間はどれだけ経験を
積んだかが大事。
経験の上に未来がある

八木 外食産業の成功、失敗の分かれ目は何ですか。

横川 企業にとってコストコントロールは基本です。ローコストオペレーションなら、お客さんに負担をかけないで利益を出せる。ユニクロのファーストリテイリングもニトリもABCマートも、品物を安くしても利益をいっぱい稼いでいる。

ローコストを実現しただけではだめ。外食産業で言えば、おいしくて食べたら健康になる、楽しくなる、そんな店を実現できるかどうかです。

最近特に大事なのは、健康に良い食べ物かどうかです。添加物を減らすのが食の安全の基本です。防腐剤などの化学物質を使っている食品は健康にいいわけがありませんよ。

プロフィール画像

1937年長野県生まれ。後に外食業界を席巻する「横川4兄弟」の三男。17歳から築地の食料品問屋で商売の基本を学び、1962年、4兄弟で食料品販売の「ことぶき食品」を設立。1970年、東京都府中市に4兄弟で「すかいらーく」1号店を開店。地主に土地と資金を借りて店舗を開くリースシステムを開発するなどファミリーレストラン経営を確立し、1993年には1000店を超える巨大ファミレスグループになった。その間、1980年ジョナサン社長、2003年日本フードサービス協会会長。2006年すかいらーく会長になるが、2008年に解任される(実際は自ら申し出た辞任)。2013年に75歳で高倉町珈琲を創業し翌年別会社を設立、代表取締役会長に就任。

※肩書き等は掲載日時点でのものになります。

各業界のトップと対談を通して企業経営を強くし、時代を勝ち抜くヒントをお伝えする連載「ビジネスリーダーに会いに行く!」。第19回目は、高倉町珈琲の横川竟代表取締役会長です。4兄弟で、すかいらーくを日本一のファミリーレストランに育てただけではなく、ジョナサンなど新業態レストランを次々と成功させたカリスマ的経営者です。一番驚いたのは、87歳の今でも、「会社を作って最初の10年は何をし、その次の10年は何をする」を考えていることです。「仕事は10年単位。死ぬ時は死ぬ。前に進むのみ」ときっぱり話されたことに感銘を受けました。

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