日銀の黒田東彦総裁が4月8日に史上最長の10年の任期を終え退任します。就任直後に、安倍晋三元首相が掲げたアベノミクスの3本の矢の一つとなる「異次元の金融緩和政策」を打ち出した黒田総裁は、過度な円高の修正や株高を進め、日本経済を好景気へと繋げ、デフレ状態から浮上させましたが、政府・日銀が掲げた2%の物価安定目標の持続的・安定的な実現は果たせずに任期を終えることとなりました。
そもそも日銀総裁とは
総裁とは日本銀行法で日銀を代表して業務を行う「総理(最高責任者)」のことを指します。なかでも最も重要な役割として、物価の安定に向けた「金融政策のかじ取り」が挙げられます。年に8回、「金融政策決定会合」という会議が開かれ、世の中に出回るお金の量や金利の水準をどうコントロールするのか、議論が行われます。この会議の議長を務めるのが総裁で、日本の経済や金融市場に絶大な影響を与える重要な職務とされています。
日銀総裁を選ぶ流れとしては、
- 政府が国会に人事案を提示
- 衆参両院が行う「所信聴取」で所信を表明し、質疑を受ける
- 本会議で採決が行われる
- 同意後に候補者の総裁就任が正式決定
同意を得たうえで内閣が任命する流れとなり、任期は5年で再任も可能のようです。
現任の黒田総裁は2期目で、在任期間は歴代最長の10年となっています。そのほか日本銀行の役割については、「日銀(日本銀行)の経営は安定している?日銀の決算内容とは?」をご覧ください。
異次元の金融緩和政策は成功だった?
2013年4月、黒田総裁は、それまでの日銀総裁にはなかったスタイルで、2%の物価安定の目標を2年程度の期間を念頭において、実現すると発表しました。その手法は、日銀が、市場に供給する通貨の量を2倍の270兆円に増やす、つまり日銀が保有する残高が年間50兆円のペースで増加するように国債を買い入れる、という「量的・質的金融緩和」といわれるものでした。巨額の数字を並べた政策について、黒田総裁自ら「異次元の金融緩和策」と謳い、メディアからは「黒田バズーカ」と評されました。
黒田総裁の10年間 | |
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2012年12月 | 第2次安倍政権発足 |
2013年1月 | 政府・日銀が2%の物価目標を盛り込んだ「異次元の金融緩和政策」について共同声明を発表 |
3月 | 黒田氏が総裁に就任 |
4月 | 異次元の金融緩和を実施 |
2014年10月 | 追加緩和実施 |
2016年1月 | マイナス金利政策の導入実施 |
9月 | 長期金利をゼロ%程度に誘導する長短金利操作(YCC)導入 |
2021年2月 | 日経平均株価が30年半ぶりに3万円台に |
3月 | 長期金利の許容変動幅を0.25%程度に |
2022年10月 | 円安加速。1ドル=150円に |
12月 | 長期金利の許容変動幅を0.5%程度に拡大 |
その後も、黒田総裁は量的緩和を2度にわたり拡大、2016年にはECB(欧州中央銀行)などに続いてマイナス金利政策を導入し緩和を強化しましたが、2016年9月に長短金利操作(イールドカーブコントロール)を導入して以降は、副作用の拡大を抑えながら金融環境が緩和した状態を維持する政策へとシフトし、大規模な金融緩和を長期にわたって継続しました。
この10年、日本経済は思ったような高い成長を遂げられなかったと言われていますが、日銀が様々な手をつくした結果明らかになったことは、「金融政策だけで物価を上昇させるのは難しい」ということです。
最後の定例会合を終えた3月10日の記者会見において、黒田総裁は10年にわたった大規模な金融緩和策について「それまでの15年間とは様変わりしてデフレでない状況になり、雇用も400万人以上増加し、ベースアップも復活した。日本経済の潜在的な力が十分発揮され、そういう意味では金融緩和は成功だったと思う」と振り返っており、4月7日に行われた退任会見でも「政府のさまざまな政策と相まって経済・物価の押し上げ効果を発揮した。物価が持続的に下落するデフレではなくなった」と総括しました。
壮大な実験といわれた異次元の金融緩和には様々な功罪が指摘されています。日本経済は、まだまだ金融緩和が必要とされる状況だとしても、それは異次元である必要があるのでしょうか。4月9日に就任する植田新総裁は重い課題を背負うとともに米銀破綻に端を発した金融不安への対応も求められることになります。新たに就任する植田新総裁については、「日銀総裁の交代はいつ?新総裁の植田氏はどんな人物?円安・株価・金利・・・経済への影響」もご覧ください。