窮地でも、長考すれば、必ず策はある ノーベル賞学者が語る、イノベーションの極意 | MONEYIZM
 
ノーベル賞医学・生理学受賞者の本庶佑先生(右)とビスカス代表取締役社長の八木美代子(左) 

窮地でも、長考すれば、必ず策はある
ノーベル賞学者が語る、イノベーションの極意

京都大学高等研究院副院長・特別教授 本庶佑氏
公開日:
2024/06/05

2018年にノーベル賞の医学・生理学賞を受賞した京都大学高等研究院副院長の本庶佑先生。受賞理由は、人間の体に備わった免疫細胞を利用して、あらゆるタイプのがんの治療に応用できる新しい治療法を開発したことだ。その研究の成果である「オプジーボ」は、治療できるがんの範囲を次々と広げている。今回は、交通事故で脊椎を損傷し、リハビリをされている最中にもかかわらず、無理を押してインタビューに答えてくださった。本庶先生は「考え抜くこと」「教科書を疑うこと」「旅芸人のように世界中の人に会い、自分の学説を説いて回ること」など、ビジネスの世界でも役に立つ経験談を語ってくださった。

八木美代子(以下、八木)本庶先生がノーベル賞の医学・生理学賞を受賞された理由について、ノーベル賞側のコメントを読み直してきました。そこには、「これまでがん治療の手段は、外科手術や放射線治療、抗がん剤があった。(本庶先生たちは)私たちの体に備わった免疫細胞を利用して、特定の腫瘍(がん)だけでなく、あらゆるタイプの腫瘍の治療に応用できる新しい治療法を開発した」と高く評価しています。

 

私たちの周囲には、本庶先生の研究が元で開発されたがん免疫薬「オプジーボ」を使って、命が救われたという話をよく聞きます。「『本庶先生は命の恩人です。ありがとうございます』と伝えたい」という知り合いもいました。

 

本庶佑(以下、本庶)患者さんやご家族などから時々お手紙をいただきます。お手伝いできて、本当に良かった。

窮地に陥った時、長考すれば道は拓ける

八木本庶先生がノーベル賞を受賞される前、医療フォーラムの会合が東京都内のホテルでありまして、食事をご一緒させてもらったことがあります。

 

そのとき、私は仕事上の悩みを抱えていました。本庶先生に食事の場でご相談しました。そうしたら、本庶先生が「あなたは1日、考え抜くことはありますか」と尋ねてこられたのです。そして、「考えることをやめたら駄目だよ。考え抜きなさい。しっかり深く考えることが八木さんを助けるから」とアドバイスしてくださいました。

 

「しっかり考える」「長考する」という本庶先生の言葉は、会社を経営する上で自分を支える柱になっています。

 

本庶そんなことを申し上げたかな(笑)。八木さんとお話をした時の前後の文脈を覚えていないから、何をお伝えしたか定かではありませんが、そう言ってくださると大変光栄です。

 

私はね、壁にぶつかったときに、くよくよしてネガティブには考えない。ポジティブに「何か突破口となる策はないか」と、考え抜くことは今でも大事にしています。

 

だってそうでしょ。窮地に陥ったときに、何か打つ手があるはずだと思うか、簡単にギブアップするか。打つ手があるはずだと長考すれば前が開けます。

 

八木本庶先生は、人生の中で窮地に陥った場面は結構ありましたか。

 

本庶僕が研究者として生きるか辞めるかというほどの窮地は、幸いにしてなかったね。僕ほど幸運に生きてきた人間はいません。常に何か策があるとポジティブに考えてきたから。

 

「人生には策がある」という信念を持つに至ったのは、つまらないことなんだけど、中学生の頃だったかな。僕の親父が、時々、「佑、将棋をやろう」と言ってくるわけです。でも、私はことごとく負けていました。将棋で息子を負かすのは、親父の楽しみだろうと思って、付き合っていたんですがね。

 

八木お父さんもお医者様でしたね。

 

本庶山口県立医科大学(現山口大学)医学部の教授でした。「負けてばかりじゃいけない。何か勝てる手があるんじゃないか」と思って、勝負している最中にじっと考えたわけ。1手を打つのに30分近くかけたかな。でも、親父は一言も言わずに待っていてくれた。それで打つ手を思いついて勝った。親父は「まいった」と言って、それ以降、一度も将棋をやろうとは言わなかったね。

 

友だちと将棋するときも、ここぞというときに長考すると、いい手が浮かんだ。それ以来かな、「長考すれば、何か物事を解決する道があるはずだ」というのが僕の信念みたいになった。

あきらめずに探して、がん免疫のブレーキ役の分子を発見

八木免疫療法を研究され、免疫の働きを抑える分子「PD-1」の薬効を発見される過程でも長考を大切にされたのですか。

「オプジーボは、根気、我慢から生まれた」と本庶先生

本庶分子「PD-1」は、長考というかね、研究のプロセスが非常にラッキーなことがあった。ある分子が見つかったが、これが何なのかが全然わからない。様子を見ようと、半年間そのままにしておいたが、何も起こらない。普通なら「この分子はなんでもないな」と終わりにします。

 

ところが、研究室の学生が1年ぐらいほっておいたら、その分子が免疫のブレーキ役を果たしていることがわかった。1992年のことです。このブレーキ役を外したら、免疫機能が強くなって、がんを治せるのではないかと考えるようになった。それが免疫の働きを抑える分子「PD-1」の薬効の発見につながった。だから、オプジーボは、根気、我慢から生まれたということです。

 

八木それまでの免疫療法は、免疫を強くする方法を研究するのが主流でした。だけど、本庶先生は逆を考えた。免疫がなんでもかんでもやっつけないように攻撃にブレーキをかける機能があることを発見された。

 

本庶ブレーキ役の分子が存在するだろうことは、多くの人が考えていた。だけど、どの分子がブレーキ役なのか、ずっとわからないままだった。それが根気よく研究を続けたら、発見できた。

 

八木本庶先生は以前、ご一緒させていただいた会合の場で「オプジーボ、つまり免疫チェックポイント阻害剤は将来、ペニシリンのような存在になる」と言っておられたのを覚えています。ペニシリンは、多くの感染症を退治する薬ですから、オプジーボもいろいろながんを治すことができると予想されたわけですか。

 

本庶正直言って僕が言った言葉じゃなくて、イギリスの「サイエンスジャーナル」に寄稿した人が私たちの研究を評して「免疫チェックポイント阻害薬は、がんにおけるペニシリンの発見のようなものだ。ペニシリンはすべての感染症を克服したわけではないが、それに続く一連の抗生物質の開発により医学に革命をもたらした」と書いたわけです。

オプジーボは、術後など二次医療で使われているが、将来は最初の治療から使える

「多くの人が本庶先生の研究成果の賜物であるオプジーボに命を救われています」と八木社長

八木オプジーボの適用範囲はものすごく広がっています。条件はあるとしても、胃がん、肺がん、頭頚部がんなどいろいろながんに適用になっていますし、保険適用も拡大しています。オプジーボが21世紀のペニシリンになってきていると実感されていますか。

 

本庶がんに対する治療は、初めて抗がん剤治療を投与するファーストライン(一次治療)、がんの再発や進行に対して初回とは別の薬剤を投与するセカンドライン(二次治療)、その先のサードライン(三次治療)と分けられます。

 

オプジーボをファーストラインで最初に適用するがんは少ないけれど、セカンドラインを含めると8割ぐらいの患者さんに使っている。まだ価格が高いということがネックになっているけれど、開発競争が進めば、オプジーボという免疫阻害薬とほかの何かを組み合わせて、ファーストラインで使う比率が高まっていくと思いますよ。

 

八木今は、例えば食道がんは術後にオプジーボを投与したりしていますが、今後は、最初からオプジーボでがんを治療していくイメージをお持ちですか。

 

本庶オプジーボ単体では無理かもしれないが、何かと組み合わせればファーストライン治療になっていくでしょうね。

ネイティブの人に英語を習って勉強がおもしろくなったし、音読がとても役に立った

八木話題を変えさせていただいて、本庶先生の若いころについてお伺いします。中学生のころから必死に勉強しようという気になられたと述懐しておられましたが、勉強が好きになったきっかけがあったのですか。

 

本庶僕は、山口県宇部市で小学校から高校まで過ごした。中学ぐらいからかな、勉強が趣味みたいになったね。なぜかというとね、勉強はやったらやっただけ結果が出てくるので、おもしろくなった。

 

中学2年生のときに、3年生に交じって「全県一斉模擬試験を受けてもいいですか」と先生に聞いたら、「構わんよ」と。受けてみたら、全県で4位か5位になった。周囲の人たちもビックリですよ。それでますます勉強が趣味になった。

 

八木勉強がおもしろくなったきっかけは何ですか。

 

本庶勉強が楽しくなったのは、中学2年生の時から、ネイティブの人に英語を習ったことですね。きっかけは親父の勧めだった。

 

親父自身が英語を習っていたわけですよ。親父は現職の教授のまま、山口県の県費で2年間アメリカとカナダに留学させてもらったことがある。当時の医者はドイツ語が主流だけど、論文を英語で書かなければいけないので、もういっぺん英語の勉強を教わっていた。
息子である私にも早い時から語学は勉強したほうがいいぞと勧めてくれた。

 

ハワイ出身の先生に週1回習った。その先生は、英語を日本語訳にするなんてことは指導しない。ある英語のフレーズを使って作文をしなさいという指導法だったね。場面に合わせて、フレーズを使う勉強だから、ものすごく役に立った。そのうち、自然にフレーズが出てくるようになった。

 

もう一つ、簡単な勉強法として英語の教科書を音読させられた。繰り返しやりなさいと指導を受けた。学校から帰ったら、まず1回か2回、毎日音読したね。不思議なもので、音読は自分の声が耳から入ってくるから記憶に残る。だから自然とフレーズが出てくるようになった。

 

高校に入る頃になると、英語が得意な友達がいて、通学の時に「英語で会話しよう」となって、英語でやり取りしながら学校まで行きました。だから、勉強が苦労とは全然思わず、楽しんで勉強したね。

学者は地方を回る旅芸人と同じ。自分の学説を海外に出かけて説明し、納得してもらってナンボ。

八木英語はその後も役に立ちましたか。

 

本庶海外にでかけるようになってから、とても役に立ったね。論文を書けば、人は読んでくれると思っている学者がいるが、大間違い。

 

僕は若い人たちに、「学者は漫才師と一緒なんや、地方を回る旅芸人だ」と言っています。実際に相手のところに行って、話をして、納得してもらってはじめてナンボなんやとね。
自分の新しい説なり、発見があったら、世界を巡って説明して、相手が「面白いな」と思ったら、そこで初めて論文を読んでくれるわけです。じっと研究室にこもっていたら、自分の考えはどこにも広がらない。ビジネスの世界も同じじゃないですか。

 

八木私たちのビジネスでも実際に話をしてこそ、相手は納得してくれますね。

 

本庶書いたものだけではダメ。世界中の学会に出かけて、「私は今、こんな研究をしている」と説明する。すると、誰かが質問してくる。それに答える。すると、本庶という男はどの程度の人間かが相手にわかる。だからこそ、英語が話せることが大いに役に立った。

 

八木本庶先生は研究者、医者、どちらの道を歩もうとかと迷ったことはなかったですか。

 

本庶あまり迷わないんだな。大学の1,2年生の時に柴谷篤弘先生(故人、元京都精華大学学長)の『生物学の革命』(みすず書房)という本を読んで感激した。分子生物学の曙の時期で、柴谷先生は、「全ての病気はDNAの異常であって、悪い遺伝子を治療すればよい」ということが書いてあった。その方向性は正しくて、卓見でしたね。だから、今でも研究室の書棚に置いてある。

 

幸いにして、柴谷先生が山口県立医科大学の先生をしておられて、父親の知り合いでもあったので、その縁で柴谷先生に会いに行って、お話を伺った。そのときの分子生物学の話は理解できなかった(笑)けれど、「京都大学には早石修先生(故人、元京都大学名誉教授)がいるから、そこに行って勉強したらよろしい」とアドバイスをしてもらった。医者ではなく、研究の世界に身を置こうとしたのは、この時からだから、進むべき道では迷わなかった。

 

その後の研究人生も、大事な場面になると、優れた師匠に出会えて、僕は非常に幸運だったと思っています。海外なら英語で話す。日本でも研究室にとどまらず話す。いろいろな人と出会い、助けられました。

教科書を疑い、「不思議だな」「何か違うところがある」と思わなければ、進歩はない

「本庶先生の言葉が、経営する自分を支えています」と八木社長

八木本庶先生は3つのCが大事だとおっしゃっています。「Challenge(挑戦)」「Curiosity(好奇心)」「Courage(勇気)」ですね。その意味合いを教えてください。

 

本庶ビジネスでも同じだと思うけど、「不思議だな」とか「何か違うところがある」とか思わないと進歩はない。別の言い方で言えば、教科書を読んで、「全部その通りだな」と思ってしまったら、もう研究することがないわけよ。

 

八木京都大学医学部医学研究科の入口に「PD-1阻害によるがん免疫治療法 誕生の地」という碑がありますね。そこに「教科書を疑え、すべてを信じると発見はない」という本庶先生の語録が紹介されていますが、そのことですね。

 

本庶僕のもう1人の師匠の西塚泰美先生(故人、元神戸大学学長)から教わった考えでね。セミナーで「論文にこう書いてあります」という人が多いわけ。西塚先生は「お前、その論文に書いてあることが本当だと信じる根拠がどこにあるのか」と質問されるわけですよ。

 

教科書も一緒で、教科書に書いてあることを全部信じていたら、もう研究は要らんでしょ。教科書だって、どこかごまかして書いているわけ。そこを不思議だな、おかしいなと思い、疑うことが研究者の第一歩だと西塚先生には徹底して指導を受けたね。

 

八木勇気は、どういうことを言っているのですか。

 

本庶不可思議なことに挑戦するのは、勇気がいるということです。多くの場合、王道を行く。皆が行っている道です。その時に、他の人が行かないけれど、自分で切り拓いていくしかない別の道を行くのは、楽じゃないし、勇気がいる。

 

新しい世界を切り拓くのは、強い好奇心がないとできないし、勇気を持ってチャレンジしないとできない。そのことを3Cという表現で言いたいわけです。

京都大学医学部医学研究科の入口にある「PD-1阻害によるがん免疫治療法 誕生の地」の碑

八木若い人にこういうことはやっておけということはありますか。

 

本庶例えば丸木橋を渡るのは、不安定だから大変ですね。でも、丸木橋でも誰かが川に橋を渡したから渡れるのであって、橋を渡した先陣がいる。丸木橋をコンクリートの橋に架け替えるのも、大事な仕事ですよ。

 

だけど、僕は誰も入ったことがない山の奥に分け入って、途中で石ころを拾ってポケットに入れて、苦労して家に帰ってくる。ポケットの石ころを調べてみたら、とんでもない石ころの発見だったというのが僕の好きな道だね。偶然の産物であっても、喜びははるかに大きい。私はそういう誰も手掛けていない道を歩んできたつもりだし、若い人たちにもチャレンジしてほしいね。

夢は京大のがん免疫総合センターを世界の拠点に育てること、加えて、リハビリをやり遂げゴルフをプレイすること

八木最後に本庶先生の夢を聞かせてください。

 

本庶京都大学の中にがん免疫総合研究センターの新しい建物を建てている。5階建ての新しい建物は、300名を収容できる実験室とオフィススペース、動物実験施設などを備えている。1階には学術会議や文化イベントのための多機能ホールもある。

 

せっかく素晴らしい建物が建ったのだから、がん免疫総合研究センターをがん免疫の世界的な拠点に育てるのが、僕が当面実現しなきゃいけない夢です。世界中の研究者がここに集まり、がん免疫の研究に勤しむ場所にしたい。

 

八木がんの免疫療法をテーマにする研究者はどんどん増えていますか。

 

本庶日本ではそんなに増えていないね。世界ではがんの免疫療法というのが、がんの研究のメインになっている。アメリカのがん学会に行くと、8割は免疫療法だけど、日本のがん学会に行くと、2割しかいない。

 

日本でなぜがんの免疫療法の研究が広がらないかを調べてみると、国からの研究費の配分ががん免疫の研究に十分に来ないからなんです。

 

だから、若い研究者のために研究費を確保することが大事だ。そのためにはお金が必要です。ぜひ、このインタビューを読んだ人たちが寄付をしていただけるとありがたいね。税控除の仕組みを活用できますから。

 

八木ほかにはどんな夢はありますか。

「リハビリ次第だけど、1ホールでもいいからゴルフをするのが夢だね」と本庶先生

本庶交通事故で脊椎に軽い損傷を受けた。そのため、歩くのが難しい。リハビリをして、ようやく杖で歩行はできそうになってきた。そこでだ、もう一度ゴルフがしたいな。

 

事故に遭う前、79歳のときに京都ゴルフ倶楽部でエージシュートを達成した。支配人が「数え年でいいんですよ」と教えてくれたので達成できた。研究所の棚の上に証明書がある。

 

八木エージシュートは、ゴルフの1ラウンドで、プレーヤーが自分の年齢と同じ、あるいは自分の年齢以下のスコアで18ホールすべてを回ることですよね。それはとても難しいことですし、加えて京都ゴルフ倶楽部はなかなかの難コースですよね。

 

本庶今でも思い出すけど、最後の18番のティーグラウンド立ったとき、「ここをパーで上がればエージシュートだな」と思わず言ったのよ。一緒に回っていた人たちがびっくりして、あとは腫れ物に触るみたいになった(笑)。

 

パー4で、3打目のアプローチをしたら、ピンそば50センチにつけた。緊張したけど、パンって打って幸いにしてポンと入った。一緒に回った人たちも冷や冷やだったろうね(笑)。

 

自分がゴルフできるかどうか、実現可能なのか、不可能なのかのギリギリの線だけど、1ホールだけでもいいから、ゴルフをしたいね。それが夢だね。

京都大学高等研究院副院長・特別教授 本庶佑氏
1966年 京都大学医学部卒業、医学博士。カーネギー研究所、東京大学などを経て、1979年大阪大学医学部教授。1984年京都大学医学部教授。1996年京都大学大学院医学研究科長・医学部長。その後、静岡県公立大学法人理事長などを経て、2015年神戸医療産業都市推進機構理事長(現在は名誉理事長)。現在は、京都大学高等研究院副院長・特別教授、京都大学大学院医学研究科附属がん免疫総合研究センター(CCII)センター長。2000年文化功労者。2013年の文化勲章受けるなど著名な賞を多数受賞。2018年ノーベル賞医学・生理学賞を受賞。
取材・文責:酒井綱一郎、撮影:大島拓也
※肩書き等は掲載日時点でのものになります。

各業界のトップとの対談を通して”企業経営を強くし、時代を勝ち抜くヒント”をお伝えする新連載「ビジネスリーダーに会いに行く!」。第14回目は、2018年にノーベル賞医学・生理学賞を受賞された本庶佑先生です。本文でも触れましたが、私は会食の場で横に座り、その場で悩みを相談し、本庶先生の言葉に救われた経験があります。その後、ノーベル賞を受賞されただけでなく、本庶先生の研究の成果であるがん免疫治療薬「オプジーボ」が多くのがん患者さんを救ってきました。本庶先生は交通事故の影響でリハビリ中。無理を押してインタビューに答えてくださり、本当に感謝です。最後に夢をお聞きしたら、「1ホールでもいいからゴルフをしたいな」とニッコリと笑って、おっしゃってくださったのが、印象的でした。